The Resort Chef 〜シェフ紹介〜 vol.2
こんにちは!
本日は、国内外より高い評価を受けてきたレストラン「エタデスプリ」で総料理長を努め、”琉球ガストロノミー”というコンセプトを生み出した渡真利泰洋シェフをご紹介致します。
Q.何故、料理の世界を目指したのですか?
A.高校生の頃は特に目指すものもなく…。取り敢えず上京して建築の学校に入学したんだけど、全然やる気にならなくて。で、休学して大学を受験したんだけど、遊んでばっかいたんで受かるはずもなく(笑)。これじゃまずいなと。部屋で求人誌見てたら「辛い仕事ランキング」の1位に「料理人」とあって。辛い環境に身を置いたら少しは自分も真面目になるかなと。で、六本木のイタリアンレストランに入りました。
Q.珍しいきっかけですね(笑)。入ってみていかがでしたか?
A.兎に角厳しかったですね。良く殴られました。けど、徐々に料理を作れるようになっていくのが嬉しかったんです。「カルボナーラが出来た!」みたいな(笑)。
Q.それでハマっていったと。
A.元々、食べることは好きだったんですよ。だから、給料が入ると殆ど飲食代に使ってました。気になるレストラン予約して一人で食べにいくんです。ボロボロの格好で。ある三つ星レストランに入った時は「お客様、キャップは脱いで頂けませんか?」と。帽子でぺちゃんこになった髪のまま食べてました(笑)。
Q.料理を作ること、食べることにハマっていったと。その後はどうされていたんでしょう?
A.勤めていたレストランの料理長が辞めたのをきっかけに僕も退職しました。モチベーションが切れたというか。その頃にはレストランを持とうと考えるようになってましたから「やるならいつか、どんなお店か」ということを考え始めていました。で、その時期を30歳と決めフレンチの世界に入りました。パリにあるレストランが表参道に支店を出すという情報を聞き、そこに入店したんです。
Q.フレンチの世界はいかがでしたか?
A.勉強になりました。そこで3年間お世話になり、パリにある本店でも働かせてもらいました。本店以外にも数店舗で修行しました。けど、宮古島で僕がやるのはフレンチじゃないなと。宮古とフレンチが僕の中でフィットしなかったんですよね。で、サンセバスチャンに移りました。
Q.バスクですね。いかがでしたか?
A.めちゃくちゃ楽しかったです。下町のバルから3つ星まで食べまくました。影響を受けたのは、こことニースの料理ですね。その後、帰国して沖縄本島に行きました。30歳の時です。
Q.宮古島でなく沖縄本島だったんですね?宮古島に戻ったのはいつ頃ですか?
A.沖縄で働いてた時に、紺碧the villa all suite(伊良部島にある宿泊施設)の社長を紹介されました。新しく開業するホテルのレストランで料理長をやらないかと。面接で僕の料理を食べ「いいね」と。それが島に戻るきっかけとなりました。31歳でした。
Q.おおよそ計画通りですね。”琉球ガストロノミー”というコンセプトは最初からですか?
A.いえ、途中からです。タイにGAGGAN(Asias50 Best Restaurants2015年.2016年1位)というレストランがあるんですが、そこのシェフが沖縄に来た際、サポートシェフで入ったんですよ。その時衝撃を受けて。そこで”琉球ガストロノミー”というコンセプトを思い付きました。
Q.今年の4月をもち独立されたそうですが、どんな理由があったのでしょうか?
A.色々なことに挑戦したいなと。ですので、期間限定で居酒屋を開業したり、BBQ.の監修なんかもやってます。主張シェフもその一つですね。おかげさまで、様々なイベントに声を掛けてもらってますので、全てに対応出来ていませんが…。
Q.今後のご予定をお聞かせください。
A.自分のレストランを持つつもりです。もちろん、目標は”Asias50 Best Restaurants”で1位を獲ること。それまでに、フリーの今でしか出来ない様々なことに挑戦してゆきたいですね。
料理人として、宮古島の生産者の意識改革にも勤めたいという渡真利シェフ。レストランはどんな食材を欲しがっているのか?どんな風に調理されどんな味になるのか?といったことを、一緒にレストラン巡りをしながら取り組みたいとも話していました。
素敵ですね♪
今後の活躍を期待しています。
ありがとうございました!
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また次回もお楽しみに!