The Resort Chef 〜シェフ紹介〜 vol.4
今回は、南地亭(なんちってい)という、なんとも洒落た暖簾を掲げる鮨職人〝砂川達郎〟さんをご紹介致します。本業は青果店の社長という肩書を持つ達朗さん。料理人になるまでの生い立ちを伺ってきました!
Q.鮨職人を目指したきっかけを教えて頂けますか?
A.高校生の頃は特になりたいものも無かったわけ。けど、親にはそうも言えんさ。で、本島(沖縄本島)のパソコン学校に行ってパソコンを勉強すると。これからはパソコンの時代だ!と。そう言って島を出たわけさ。けど興味もないからさ、行かんわけよ学校に。
Q.笑
Aすぐに友達と居酒屋のバイト始めて、俺はホール、友達は厨房で入ったよ。そしたら、その友達がバックレたもんで仕方なく俺が厨房に入ったわけ。
Q.それが最初の調理経験だったと。
A.楽しかったよ。学校は行かんけどバイトは行ってた。酒飲ませてくれるし(笑)。ほら、当時はゆるかったでしょ、そのへん。したら、飲み過ぎで膵炎にかかっちゃって。医者がビックリしてたよ。「この子18歳でしょ⁉︎」って。
Q.未成年が膵炎ってあり得ないですもんね(笑)。
A.学校は行かない。おまけに入院する。で案の定、出席日数が足りなくて卒業できないと。だから偽造したよ、書類を。それで何とか卒業できたわけさ。
もうこれ時効だよな?
Q.・・・分かりません。
A.まぁ、いいや(笑)。で、それから大阪に行って割烹を5年間学んだよ。その時、寿司の仕事もあって一緒に教えてもらったのよ。
Q.それが始まりだったんですね♪
A.それからまた沖縄に戻ることになって、恩納村の「リザンシ―パークホテル谷茶ベイ」ってホテルに入ったわけさ。そこでは京料理を提供してたんだけど、新しく江戸前鮨の店を立ち上げると。人手が足りないってことで、京料理店で働きながら、鮨の仕事も手伝うことになったのよ。
Q.ハードだったんですね!
A.忙しかったけど楽しかったよ。一生懸命働くから先輩も可愛がってくれてさ。よく「仕事は盗め!」っていうじゃない?そうじゃなかったの、人手が足りないから。早く覚えてくれ!って(笑)。
Q.どのくらい在籍したんですか?
A.8年くらい居たかな。当時付き合っていた今の嫁さんとの間に子供ができて宮古に戻ったわけさ。
Q.店を持つことは考えなかったんでしょうか?
A.実家が青果店でしょ?だから店を出せんわけよ。店を出して、もしお得意さんと被ったらライバルになっちゃうでしょ。お得意さん損させる訳にはいかんからさ。
Q.そんな理由があったんですね・・・。知りませんでした。では、出張鮨を始めたきっかけは何だったんでしょう?
A.宮古に戻って暫くしてから、友達に頼まれてそいつの家で握ったわけさ。子供たちに食べさせたいって。そしたら、その子供たちが凄く喜んでくれて。始めて食べた!って。俺からしたら、それが衝撃でさ。始めてって!?それで「こりゃいかん!」と。「宮古でも美味しい鮨が食べれるんだぞ!」って。それが原点かな。だから、仕事って感じじゃなくお願いされた時だけ行くようにしてるわけよ。
Q.商売にはできない。けれど宮古の人たちを喜ばせたい。心意気を感じます!ところで、今回の登録は大丈夫なのでしょうか…
A.ゲンちゃん(僕です)が新しいことに挑戦するって言うからさ。そりゃ応援しんといかんだろ!
Q.ありがとうございます!俺、泣きそうっす…!
個人的にもお世話になっている達朗兄さん。そんな心優しい兄貴の握る鮨は、丁寧な仕込みと〝人を喜ばせたい〟という純粋な思いから紡ぎ出される作品ばかり。どれも心の芯にじんわり沁みる味わいです。島内で振舞うものとは一線を画す〝特別メニュー〟をどうぞ当サービスでご堪能下さい!